新入社員だった僕にカレー屋の女主人が教えてくれた美しいプロ意識の話
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記事:田沼はるま(ライティング・ゼミ)
自分が人生をかけて取り組む仕事が、絶対に1番になれないと分かったとき、あなたはどう思うだろうか。
当時の僕はそれが受け入れられなかった。
その店に初めて入ったのは数年前、まだDVD制作現場の新入社員だった頃。
ちっとも仕事が出来るようにならない自分にがっかりしていたし、仕事ができないあまり「この仕事って意味あるのかなぁ」とまで思うようになっていた。
世の中のみんなの関心ごとはそれぞれ他にあって、僕らの仕事が一番の脚光を浴びることはなさそうだ。
それなのに朝から翌朝まで、ヘトヘトに人生を使う意味ってあるのだろうか。
昼食時までに作業が終わらずやっと外に出た夕方、会社まわりをふらふら歩いていると、細い歩道を遮らないよう控えめに置かれた看板が目にとまった。
ひとりで扉を開けると、他の客はなく、店員もなし。
扉を閉めるとカウベルが結構な音量で鳴ったものだからドキドキして適当に座ると、50代前後のコロっとした黒髪の女主人が現れて、隣のテーブルへ品書きを置いた。
「そこは隙間風が入りますから、こちらへどうぞ」
席を移りメニューを見ると、数種類のカレー、パスタ、サンドイッチが並び、横に一言ずつ説明が添えられていた。
ハヤシライスの横には「太陽をいっぱい浴びたおへちゃトマトを使って……」とあり、
「おへちゃトマト? って品種ですか?」
と尋ねると、女主人は
「ううん。おへちゃって、ホラ」
と自分の頬を両手でおさえつけ
「こういうの。おへちゃ」
と実例を示してくれた。突然始まった防戦一方のにらめっこに、僕は強張っていた自分の表情がゆるんでいくのを感じた。
メニューの中で目を引いた「ベーコン・チーズ・ヨーグルトカレー」を注文すると女主人は笑顔でうなずいて調理場へ引っ込み、カチャカチャと食器の音を鳴らし始めた。
改めて店内を見回すと、なんというか、とても落ち着いている。
白い壁とこげ茶色の棚がオレンジの照明で境界を馴染ませている。
中綿がくたびれた低めの丸イスとソファが、ほどほどの行儀良さで並ぶ。
仕切り代わりの飾り棚は中がほぼ空っぽで、取っ手が片方なくなっている。
天井近くのスピーカーから流れるクラシックは時折途切れ、合間になぜかチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえたりする。
歴史はあるけどボロくない、過ごした時間をごまかさず大切にするとこんな雰囲気になるのだろうか。
「ここに座ったいろんな人のこと、わたしらぜんぶ覚えてます」
そんな家具たちのセリフを想像していると、女主人が大きな皿を手に再び現れた。
机に出されたベーコン・チーズ・ヨーグルトカレーは想像以上に鮮やかだった。
楕円に盛られたご飯に、まるごとルーがかかって全体がこげ茶色。
その上にヨーグルトとチーズがまた白い層をつくり、所々ベーコンのピンクが顔を出している。
一口食べるとナニコレうっま。
ごはんちょっと固め。ルーがかかっててもごはん粒を噛む感触が残ってて楽しい。
量もたっぷり。だけどベーコンの塩気とヨーグルト・チーズの濃厚酸味で全然飽きない。
驚き顔のまま「美味しいです」と女主人に伝えると、そんな客を見るのが好きな様子で女主人もまた笑ってくれた。
「ベーコンはね、手もみで塩をすり込んできつめにスモークしてあるの。クラシックベーコンっていうんだけど、最近手に入らなくて困っちゃうのよ」
料理ができない僕には難しい話もあったが、クラシックという言葉はこの店にぴったりだ。
僕の完食を見届けた彼女はコーヒーを出し、店内のPCで何やら作業を始めた。
コーヒーにザラメを溶かしてぼんやりPC画面を見ていると、ゲーム画面のようなものが動いていた。確か、アバターを動かすセカンドライフとかいうやつだ。
何をしているのか尋ねると、快く説明してくれた。
「そう、これ、ここのお店なの。セカンドライフの中にもバーチャルで出店して通販してるのね。BGMもこのお店とセカンドライフのお店を同期してネットラジオを流してるんだけどね、回線が不安定で、BGMも途切れ途切れだったでしょ? 無音のあいだ寂しくなっちゃうからホラ」
アバターの肩に乗せた小鳥を指差している。
ああ、さっきからチュンチュン言ってたのはこの鳥か。というかものすごいペラペラIT用語使うんだなこの人。
「全部似せてる」という言葉通り、実店舗に忠実な画面上の店舗の中で、キリモリしている女主人のアバターはスレンダーなブロンド美女だった。「これ私」と笑う女主人をますます好きになった。
それからしばしば通うようになってわかったのは、お昼時はとても繁盛している人気店だということ。
手伝いのスタッフが昼だけ来ているようで、主人は厨房から滅多に出てこなかった。
でも夕方に行った時だけは彼女と話す時間があった。
「すごいですよねこのカレー。本当に美味しいです」
何度もそう言いたくなる。そして何度目でも、彼女は嬉しそうに笑う。
相変わらず仕事に自信がなくて悩んでいた僕は、今思えば誰かに何かヒントをもらいたかったのだろう、だんだん働き方について尋ねるようになっていた。
「自分の仕事で人を喜ばせて、本当に素敵だと思います。僕が就職活動をしていた時に聞いた話なんですけど、天職って、自分が人生ではじめて親に褒められた物事でわかるそうなんですよ、その延長線上にあるんです。そんな仕事だと、仕事で褒められたときの脳の状態が、小さい頃はじめて親に褒められたときの脳と同じ状態になるそうで。 だから心身にもとてもいいし、がんばれるし、その仕事をするだけで幸せなんですって。……小さい頃からお料理が得意だったんですか?」
真剣に耳を傾けていた主人は目を輝かせて言った。
「私納得しちゃった! ほんとに元気になるんだもん! ちっちゃい頃からカレーつくって家族とかご近所に『リョーコちゃんのカレーは美味しいね』って言ってもらってたの。美味しいとか言われたら明日もあさっても元気に作っちゃう!」
身振り手振りを交えて興奮気味に話すリョーコさんを見ながら、自分はどうだろうかと考えていた。
自分もその延長にあるような仕事につけた気がしている。頑張れば天職にできるはずだ。
でも、未熟な自分でもうまくステップを踏めていないのがわかる。
リョーコさんが続けた。
「だからね、2番目に美味しいカレーを作るために頑張っちゃうのよ!」
ちっちゃい両手をにぎってガッツポーズをしている。
2番?
「2番ですか?」
「そう、2番」
意味をくみ取れずにいると、また教えてくれた。
「カレーってね、私がどんなに頑張って作っても、1番にはなれないと思うの。 100人いれば100の思い出のカレーがあって、煮過ぎてジャガイモがくずれたり、作りおいた翌朝に家族で食べるカレーだったり、 お母さんの味とか、恋女房の味とか、色々な1番があるんです。ラーメンだったら家庭でつくるのとプロがつくるのは違うから 1番になれると思うんだけどね。カレーは家庭の料理だから、頑張って頑張ってがんばーってはじめて、 誰かの2番にはなれると思うんです。そういうカレーが作れたら幸せだし、そういう気持ちでありたいと思ってるの」
驚いた。
最も驚いたのは、お客さんのそれぞれの思い出の味を「1番」に置いていることだった。
僕が彼女の立場なら、どれだけ前向きでも「思い出のカレーは別格、お店のカレーの中で1番を目指す」みたいな言い方をしてしまいそうなものだ。
でもリョーコさんは「2番」と言った。
「お客さんそれぞれの特別な味」をとても尊重して、尊敬している。1番であってほしいとまで思っている。かといって、別格として比較対象から消したりはしない。お客さんの人生に寄り添った特別な味と同じ土俵で、「その次に好き」と言ってもらえたらこんなにうれしいことはない、そう言っているのだ。
つつましくも誇り高い、ストイックで夢のある2番。
「そんな2番は素敵ですね。自分の仕事も、そんなふうになったらいいなと思います」
心からそう言うと、女主人はまた笑った。
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